境内のご案内

江戸時代より高松松平藩の専属祈祷所としての面影を伝える八栗寺。
霊地であり聖地である八栗寺のことを、もっと知ってみませんか。

境内のご案内

〔本堂〕

五間四面の入母屋造り、伝弘法大師作の聖観自在菩薩(木仏立像、丈約1.3m)が祀られ、正月三が日に開扉されます。築後三百年を超え、屋根や幕には高松藩松平家の「葵の紋」が入っています。また正面には五代藩主頼恭公筆の「大悲殿」の額がかけられ、内陣天井には藩絵師による火伏の龍図が描かれています。

【本堂の歴史】
従来のお堂は天正年間に長曾我部元親の兵火により焼失しましたが、文禄年間無辺上人が再建。その後寛永十九年(1642年)高松藩初代藩主松平頼重公が再々建、合わせて本尊も現在のものを勧請しました。さらに宝永六年(1709年)三代藩主頼豊公が宝永地震後の伽藍復興事業にともない現在の位置に移設しました。
当山は高松藩松平家との関係が深く、最初は藩の祈願所でしたが、後に祈祷所となりました。これにより檀家勤めが免除されて毎年徳米が支給されるようになりました。また伽藍復興計画は「八栗寺伽藍絵図」(松本山月筆/非公開)からうかがうことができます。

〔聖天堂〕

三間四面撞木造り屋根はひわだぶきの建物。中央には伝弘法大師作のお聖天さま、右方には十一面観音、左方には軍荼利明王が祀られています。毎日朝九時から夕方三時までお参りができます。築後三百年を超える建物であり、行者の修法する内陣が岩窟内に納められ、そこにとりつくようにお堂が建てられています。中陣の柱や壁には鳳凰や桐の花が描かれ荘厳さをかもし、外陣には「巾着や大根」の紋の入った提灯や灯篭が吊り下げられ華やかです。

【聖天堂の歴史】
延宝四年(1676年)木食以空上人(もくじきいくうしょうにん)は、後水尾天皇の皇后である東福門院(徳川秀忠・江の娘)より賜った、歓喜天をお祀りする場所を探し四国行脚していました。厳しく神秘的な五剣山の山容を拝して、この山こそ「天尊勧請相応の霊地」と悟ります。そして、本堂横の岩窟が凡庸ではないことを見て意を深くし、延宝五年(1677年)にお堂を建てました。
◯喜びを歓びとする「歓喜天」
歓喜天は、人の喜びを歓びとする天尊で、ここには夫婦二天の歓喜天をお祀りしています。日本最古ともいわれる弘法大師作の秘仏で、50年に一度開扉されます。お聖天さまは、仏法を守護し仏道を行ずる人々を守護する天尊で人々の迷いを救い、願いを叶えて下さいます。
◯功徳を表す「巾着」「大根」
境内には巾着や大根の印が多く見られますが、これは祈願することによって得られるお聖天さまのご利益をあらわしたものです。「巾着」は福徳財宝で商売繁盛を表し、「大根」は身体を丈夫にしていただき、良縁を成就し夫婦仲良く末永く一家の和合を御加護頂ける功徳を表しています。

詳しくは▶八栗のお聖天さま

〔中将坊堂〕

二間四面屋根は銅板葺の建物。中央石室内に大黒天を本地とする天狗の中将坊大権現(石仏立像、丈約0.8m)がお祀りされています。建物および石仏の年代は不明。聖天堂と同じく建物の多くの部分が岩窟に納められています。屋根を覆う大岩石が荒々しい。毎月の一日と一六日の午前六時に開扉され、参拝者への加持が施されます。

  • ●中将坊さまは七福神のひとつである大黒天の生まれ変わりです。
  • ●大黒天の御真言「オンマカキャラヤソワカ」と唱えます。
  • ●毎月1日・16日早朝6時から中将坊様の御開帳とお加持が行なわれています。
  • ●なお、階段の途中にある「石仏」は目の病にきくといわれています。

詳しくは▶八栗の天狗さま

〔二天門〕

三間一戸入母屋造り瓦葺の建物、天部の「持国天」と「多聞天」が祀られています。ここから仰ぎ見る五剣山の迫力は圧倒的です。

〔護摩堂(通夜堂)〕

七間三間屋根は銅板葺、平成七年の建物。お聖天さまのお子さまである「歓喜童子」(木仏彩色像)が祀られています。これは以空上人が修行中に夢で感得したお聖天さまの童子形です。彩色された木仏像は全国的にも珍しく霊験もあらたかです。毎月の15日および月末の午後七時よりご宝前にて護摩供養が修行されます。

〔写経室〕

八栗寺は、心経写経の根本道場嵯峨御所大覚寺の末であり、写経に力を入れています。
写経室では毎日写経ができます。書き終えた写経は、お聖天様に御祈祷の後多宝塔に納められます。希望者は納経所に申し込みください。

▶多宝塔へ

〔十一面観音〕

十一面観音菩薩は、お聖天様の本地仏であり、衆生の迷いを救い、願いを叶えて下さいます。昭和五十一年(1976年)に寄進されました。背面の地層は、1000万年以上も前のものです。

〔聖観音〕

聖観音は、本堂と随求菩薩の間にあります。昭和四十七年(1972年)年寄進されました。

〔随求(すいぐ)菩薩〕

随求菩薩は、観音菩薩の変化身とされます。大随求菩薩ともいい、人々の求願に随い施し与えることから「随求」と名づけられています。
菩薩の周囲を“南無随求菩薩”を3辺唱えて回ってお願いをすれば、願いを何でも叶えてくれると言われています。

〔鐘楼堂(しょうろうどう)と梵鐘(ぼんしょう)

鐘楼堂は寛政三年(1791年)建立。梵鐘は戦時供出のため戦後しばらくありませんでしたが、中井龍瑞が昭和三十年(1956年)新たに平和の祈りをこめて作ろうと書家松坂帰庵の紹介で會津八一(あいづやいち)【歌人 秋艸道人(しゅうそうどうじん)】に鐘の揮毫を頼みました。刻字は松坂帰庵がしました。昭和三十二年(1958年)突き初め式を行いました。會津八一(秋艸道人)の「八栗寺の鐘」として歌人書家の間では有名です。現在だれでも参拝時に突くことができ、大みそかには百八名の希望者により除夜の鐘が突かれます。

詳しくは▶八栗寺の鐘へ

※會津八一氏は、雅号を秋艸道人(しゅうそうどうじん)といい、明治から昭和にかけて活躍した歌人・書家です。八栗寺の梵鐘は、會津八一の遺作です。現在新潟市には「會津八一記念館」、早稲田大学には「會津八一記念博物館」があります。

詳しくは▶會津八一記念館HP
▶會津八一記念博物館HP

〔木食以空上人像〕

天尊行者として名高かった木食以空上人が八栗寺に歓喜天を勧請し、寺の繁栄の礎を築かれたことをたたえて、昭和四十年(1965年)に建立された像で、姿は上人の自画像をもとにしています。ちなみに、肉類や五穀を食べず、木の実や草などを食して修行することを「木食」といいます。※題字は中井龍瑞。

〔地蔵堂〕

地蔵菩薩を祀り、子授けにご利益のあるお地蔵さまといわれています。
地蔵菩薩の御真言は「オンカカカビサンマエイソハカ」です。5月には、藤が美しく咲きます。

〔十二支一代守御本尊〕

五剣山を模したミニ五剣山の前側には八角柱の台座と写経を納めた石室があり、上にはブロンズの十二支尊像が祀られています。ブロンズの十二支尊像は、新田藤太郎氏の最晩年の作。高松中央公園前の菊知寛像の作者でもあります。
◯十二支尊像は子年が弥勒菩薩、丑年が勢至菩薩、寅年が阿弥陀如来,卯年が聖観世音菩薩、辰年が如意輪観音、巳年が虚空蔵菩薩、午年が地蔵菩薩,未年が文殊菩薩、申年が大威徳明王、酉年が普賢菩薩、戌年が大日如来、亥年が釈迦如来となっています。

〔大師堂〕

昭和初期に建立された総欅(けやき)造りのお堂で、青年時代の修行僧の弘法大師が祀られています。お釈迦様の誕生された4月8日の花まつりと、大師の誕生された6月15日の青葉まつりには、甘茶が接待されます。お大師さまの御真言は「南無大師遍照金剛」です。

〔多宝塔〕

昭和五十九年(1984年)、大師入定1150年の御恩忌に建立されました。朱塗りの鮮やかな三面四面の総桧造りの鎌倉様式の建物で、本尊は昭和の大仏師・松久宗琳(まつひさそうりん)作の金剛界大日如来(丈1尺8寸)です。内部には尊勝曼荼羅と八祖大師と十二天が極彩色で描かれています。多宝塔には写経が納められています。正月三が日は開扉されます。

〔八十八ヶ所石仏霊場〕

大正時代に高幡龍騰の発願で大師信徒たちが、五剣山の山中に八十八の石仏を祀りました。平成16年(2004)弘法大師入唐1200年記念に、山中に点在していた石仏を一か所にまとめて奉祀したのがこの石仏霊場です。雨が多い時期には、時折小さな滝があらわれたり、秋には紅葉が美しい場所でもあります。

〔亀の子岩〕

亀の頭の下には石仏が祀られ、長寿にご利益があります。八十八ヶ所石仏霊場の隣にありますので、ぜひ訪れてみてください。

〔御成門〕

高松藩の藩士が八栗寺に来られた時に通っていた門。本坊の山門を入ったところにあります。唐破風様式・桧皮葺きの建物で、屋根には葵の紋が入り、彫刻は左甚五郎の末裔の作といわれています。

〔賽の河原〕

表参道のお迎え大師の手前にお地蔵様が立ち並ぶ「賽の河原」があります。ここは、人間界と聖地の境目と言われています。

〔お迎え大師〕

表参道を歩いて参拝する人々をお迎えするということから「お迎え大師」と名づけました。弘法大師の若々しい風貌は、大師堂の本尊の模刻です。八葉蓮華のかたちをした展望台で、ここからは高松市郊外はもちろん、晴れた日には金毘羅の象頭山や徳島県の剣山までも見渡せます。

〔おはつきいちょう〕

通夜堂の横にあって、たいへん大きな銀杏です。葉に実がつくことから「おはつきいちょう」と言われています。12月初旬に黄色く色づく、香川県の保存木となっています。

〔菩提樹〕

この樹は、弘法大師お手植えの菩提樹のひこばえです。
菩提樹はお釈迦さまがその下で悟りを開いたとされる聖木で、毎年6月中旬になると、淡黄色の花が房状になって垂れ下がり、いい香りを漂わせます。落葉の頃には、菩提子という硬い実をつけます。
菩提樹の花言葉は「夫婦の愛・結ばれる・熱愛・結婚」で、葉はハート形をしていますので“縁結び”にご利益があるかもしれません。


〔八栗ケーブル〕

八栗寺には、麓からレトロなケーブルカーで登るのが便利です。登山口駅から山上駅まで約4分。この間は、春は桜、秋は紅葉など山の木々や風景が楽しめます。

<八栗ケーブルの歴史>
戦時中、ケーブルは供出され閉鎖されていましたが、昭和三十九年(1964年)12月28日東京オリンピックの年、初代の新幹線に似た車体デザインで再び運行を始めました。八栗ケーブルは、平成二十六年(2014年)に創業50周年を迎えました。

詳しくは▶八栗ケーブルHP

〔表参道〕

表参道は、八栗登山口駅の左から登り、賽の河原、お迎え大師、二天門を経る遍路道のルートです。途中、左右に石仏や四季の草花、野鳥のさえずりや風景などを楽しみながら登ることができます。

〔裏参道〕

裏参道は、八栗山上駅から東へと抜ける遍路道で、志度寺へと続いています。途中には1185年の源平屋島の合戦の時、義経一行が登って戦略を立てた「源氏が峰」を仰ぎ見ることができます。